防 府 天 満 宮 由 緒
瑞雲
 防府天満宮は学問の神様、菅原道真公を始め、公の御祖先である天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、野見宿禰(のみのすくね)の四柱をお祀りしており、延喜4年(904年)のご創建をもつ日本で最初の天満宮です。
 公は、九州の太宰府に下られる途中、船を当地勝間の浦におつけになり暫くご滞在になりました。ご滞在中、酒垂山にお登りになり、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」とお誓いになり、家宝の黄金の鮎12尾を国司土師信貞に託して寂しく旅立たれました。
 延喜3年(903年)公のお亡くなりの日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引きました。ここに国司は公の御霊がお帰りになられたと、翌延喜4年(904年)この地の酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号しました。これにより日本で最初の天満宮といわれています。
菅 原 道 真 公
   道真公は御父を是善公と申され、御母は大伴氏で仁明天皇の承和12年(845)6月25日京都の菅原院で御誕生。幼名を「阿呼」と申されました。
 公は幼少より文学に秀でられ、御年僅か5歳の時、「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」と詠まれました。11歳では「月夜に梅花を見る」の題で最初の漢詩を作られました。18歳で文章生、26歳で対策に及第され、33歳では文章博士になられました。以来、学識愈々高まり誠直な政見によって、時の宇多天皇の信任篤く、遂に55歳の時右大臣に任じられ職務を全うされました。昌泰4年(901年)藤原氏の陰謀により太宰府に左遷されることになりました。公が旅立たれる時、「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と庭前の梅の花に別れを告げられたことはあまりにも有名です。旅の途中、同族の周防の国司土師信貞を頼って当地勝間の浦にお立ち寄りになり、しばらくご滞在ののち、寂しく旅立たれました。それより2年後の延喜3年(903)2月25日、太宰府でお亡くなりになられました。
  御神像

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