平成19年御神幸祭(裸坊祭)
防府天神祭御神幸祭(裸坊祭)を斎行
御神幸祭の由来について
 一条天皇の寛弘元年十月に初めて北野の菅廟に行幸され、此月の十五日に当地へ 勅使をお差遣えになりました。この時、大・小行司が御神幸の供奉に列してより常典 となりました。

 二条天皇は、平治元年に周防国を御白河上皇の領国となされました。
その頃、都は騒々して源平の戦(保元・平治の乱)も起こり、朝廷にも事多く承安 元年より勅使は止んで、周防の国司に仰せられて祭典がおこなわれました。
その時奉仕した大,小行司の家筋は其のまま伝わっております。毎年の御神幸には 欠くることなく供奉してこられ、今に至るまでその同族以外の者が之に奉仕するこ とは許されておりません。

 御神幸祭は菅公が当地へお立寄りの時、送迎をなしたるに起因してその儀式を 今に伝えるものです。御神幸祭即ち御旅所はその際の遺跡で、今でもそこで浜殿奉行と云う役が当時の饗応になぞらえて供膳の儀を奉仕しています。

裸坊の供奉は、江戸時代中期より、特に崇敬の念あつい信徒達が、身心の穢れを清 め真に清浄潔白になる意味から寒中水垢離をとり裸体となり、僅かに白木綿を身に まとい供奉する者が逐年増加し、勇壮な祭典として、その裸坊祭の勇名は中国地区 をはじめ広く全国に知られるようになりました。
近年に入り、裸坊は白シャツ等を用い白装する様になりました。

防府天神祭御神幸祭が行なわれるには、様々な諸神事がおこなわれており、それら の総称として防府天神祭といい、狭い意味では、御神幸祭(裸坊祭)のことを天神 とも称しています。
キーワードは大行司・小行司
 菅公が防府の地へお立ち寄りの際、国司と共に送迎した国庁の庁吏の末裔 が今の大行司(藤井家)、小行司(清水家)といわれております。
防府天神 祭の一連の神事はこの人達を中心に供奉されます。
おんな神輿
 御神幸祭(裸坊祭)に花をそえるおんな神輿は、昼13時30分の出発予定です。この日に向けて、参加する女性達が天満宮に集まり、何度も神輿振りの練習を重ねます。参加される方の中には、まだ一度も神輿を担いだことのない人もあり足の運び方や、担ぎ方などを経験者がわかりやすく教えています。
  コースは、カリヨン通りエムラ前を出発〜防府駅前にて神輿振り〜防府商店街にて神輿振り〜石鳥居前にて神輿振り〜第二鳥居通過〜防府天満宮拝殿前にて神輿振り、御祓いを受けて、約3キロの道を『ソイヤ!ソイヤ!』の掛け声とともに練り歩きます。
 衣装は本場浅草から仕入れた本格派!総勢二百人の粋な女性達の集団です。
防府天神祭一連神事紹介
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★大小行司お籤上げ
 来る9月9日、今年の御神幸祭に供奉する大行司役、小行司役を御神前での抽籤 により決定します。
選ばれた大小行司役は、天神祭の終わるまで生活の清浄化が厳しく求められます。
★御分霊奉送式
  9月24日(月)
御神籤上げにより決定した大行司家、小行司家へ御神霊の御分霊と御当文(差定状) を奉送する祭です。
御当文・・貞和3年(1347)
スポットは花神子
★花神子社参式
  10月14日(日)
 花神子社参式は、御神幸祭の重要な役を奉仕する大行司、小行司役が、古来陰暦9九月25日、後、太陽暦日の10月25日、近年は10月第2日曜日に、斎戒沐 浴して醸り出した新穀による一夜御酒を、清浄無垢な神子に奉献させ、来る御神幸 祭が無事安全に果たせるよう様御神前に祈願する為の社参の式です。
 社参の行列の形式は、明治初年に改変せられて大名行列に準じたもので、神酒奉 行、局、花神子、御典医、家老等、馬上の、武者あり、駕篭乗りあり、花駕篭、長 持あり、或いは手振り足並み打揃えて進む奴ありで、総数約5百名に及び、防府駅前より約1キロ の道程を半日掛かりで粛々と進む様は,正に絢爛そのものであります。
☆おはけ
  11月16日(金)
 馬場先参道に大幟旗が立ち、社殿から鳥居まで新らしい斎竹に注連縄が張ら れる。
☆大小行司役夜々詣り
  11月16日(金)より毎夕刻
 4夜ずつ8日間、大行司役、小行司役が隔番でお供人約50名とともに社参し、来 る大祭に「過つ事なく御供仕え奉らしめ給い、又与りて事執り賄う人々も同じ心に 勤しみ務めて安く穏に事竟えしめ給へ」と、御神前にお祈りする祭である。
☆清祓
  11月23日(木)
 夕刻より社殿、御網代輿、御神輿、祭具、祭器等、御神幸祭にかゝわる一切のもの が祓い清められる。
☆前夜祭
  11月23日(金)
 夕陽の降りる頃、全神職参列のもとに前夜祭が厳そかに斎行される。
☆当日祭
  11月24日(土)
 早朝、役員参列のもとに御神幸祭の当日をお知らせする祭典が斎行される。
☆大小行司お宮入り
  11月24日(土)
 大行司役、小行司役が加勢の人々多数を従えて駅前を午後2時過に出発。無事の奉仕を祈り、防府の目抜通りを大名行列を組んで天満宮へ社参します。
 お宮入り後は、大専坊跡を本陣にして御網代輿の御発輦まで待機します。
☆報賽祭
  11月25日(日)
 御神幸祭が無事に斎行出来たことに併せ、天神祭りにご協賛項いた多くの信者の 方々に対し感謝の祈念を神前に報告します。
参詣者は境内に溢れ、一日二十万人の 参拝者で街中は混雑を極めます。
☆大小行司神上式
  11月25日(日)
 大小行司役が御分霊式以来御神事式に至るまで無事奉仕出来たことを神霊に報告 し、併せて神衣返納の儀式を行って、防府天神祭の総べてが終ります。
御神幸祭
  11月24日午後6時
 神職四名に承仕三名、大祭供奉員の御警固役六名、裃姿に威儀を正した天満宮役員 参列のもとに浄闇の中御神輿、御網代輿へ御分霊の御霊遷しが行われます。
 午後六時拝殿正面の扉が開かれるや、数百人の裸坊が一斎に拝殿になだれ込み、 「兄弟ワッショイ」の掛声に加え人いきれと体温で殿内は熱気をおびてきます。先 頭神輿、第二神輿と次々に昇ぎ出される神輿を千人ばかりの裸坊が取り囲みます。 次いで地響を立てながら御網代輿が拝殿の階段を下り参拝者の見守るなか、楼門を 経て五十八段の大石段を滑り降ります。喚声と怒号、約五千人の裸坊が乱舞する様 は壮絶の一語に尽きます。
 裸坊は何んとかして御網代輿に触れようとします。古くから御網代輿に触れれば 諸願が叶うと信じられてきたからです。大石段を無事に降りた御網代輿は金鳥居前 で台車に仕立てられ、御神幸の行列に加わります。
 途中獅子堂渡辺家の接待を受け、警固町を経て勝間浦のお旅所(浜殿)に到着。
浜殿神事のあと延喜の昔、菅公着舟の故事にならって浜殿奉行の手により一夜御酒 による接待が行われます。
 神事終了後行列は再び車塚町から天神町を経て午後九時過ぎ還幸になります。
▲御当文・・貞和3年
▲大小行司役夜々詣り
第1004回
11月24日・25日